top of page

まっちゃん部長日記

まっちゃん部長日記➂2023年4月22日


 新学期です。新たなラグビー部長はとても忙しいのです。前期は週9コマ(1コマ=90分)の担当授業の準備や実施だけでなく、ラグビー部関係の学内業務、渉外にも追われています。忙しすぎると、持病の腰痛が出てきます。ア、イ、タ、タ。現役時代の“スクラム地獄”のプロップ後遺症なのでしょう、きっと。


 金曜日は、1限、2限の授業を終えたあと、休む間もなく、ラグビー部女子の古賀監督の運転する水色の軽自動車で天王洲アイルへ向かいました。スポンサーへのご挨拶のためです。苦労して作成した契約書をカバンに忍ばせ、ラグビー部のよもやま話をしながら、スポンサーのありがたさを確認しておりました。


 予算が厳しい大学の運動部はどこぞも大変なのです。チームを強くするためには、環境を整備しないといけません。当然、予算が必要になります。だから、営業なのです。スポーツマネジメント学部の教授として、ふだんスポーツビジネスのうんちゃらかんちゃらと合理的な知識の体系を物知り顔で話していますが、それを実践するのがいかに難儀か。


 高速道路の出口を間違ったため、天王洲アイルのファクトリーギア東京店に到着するのが約束の時間ぎりぎりとなりました。濃紺のブレザーを羽織りながら、荒い息遣いで店に飛び込みました。ハアハア。ギリギリセーフでした。


 髙野倉社長はにこやかな表情で待っていらっしゃいました。やわらかなというか、いつも機嫌のよさそうなジェントルマンです。人柄でしょう。話をしていて、こちらまでカンフォタブルになります。


 車をビル地下の駐車場に停めて、古賀監督もダッシュで駆け付けました。焦げ茶色のソファーに座り、髙野倉社長とはいろいろな話をさせてもらいました。言葉の端々にラグビーに対するラブがにじみでています。ビジネスライクに考えれば、たぶん、ラグビー部女子のスポンサーをするメリットはたかが知れているでしょう。ラグビーを応援したいという気持ちがなければ、大学のラグビー部女子のスポンサードなどできるはずはありません。ありがたいことです。


 話が弾みました。終盤、古賀監督がぽろっとこぼしました。

  「わたし、ディー・アイ・ワイが趣味なんですよ」

  “ビックリ・ドンキー”です(古い)。意外でした。ディー・アイ・ワイとは、「DIY(do―it―yourself)」のことです。自分でやる。つまり、日曜大工など、自らテーブルや棚などをつくることなのです。「ほら」と言って、スマホの画像を髙野倉さんに見てもらっていました。真っ白に自ら塗ったキッチンの棚でした。


 ファクトリーギアは、このDIY工具の超有名会社なのです。“驚き桃の木山椒(さんしょ)の木”です(これまた古い)。古賀監督、ラグビー選手の人づくり同様、ものづくりの名手でもあったのです。


 明るい雰囲気でミーティングは終わりました。わたしといえば、古賀監督の隣で、スポンサーメリットを必死で説明し、ラグビー部へのご支援をお願いし、何度も頭を下げるだけでした。


 その後、わたしはモノレールとJRを乗り継いで、上野に向かいました。古賀監督は、夕方の練習のため、健志台グラウンドへ車で戻りました。


 上野には、ラグビー部女子の別のスポンサー、『くらしナビ』があります。前部長の米地先生と上野駅そばのビルのエントランスで合流し、今度はビル8階のくらしナビの加島社長にご挨拶です。スポンサー継続のお願いです。


 加島さんは関東学院大でラグビーをしていました。わたしが敬愛する春口先生のご指導を受けられたそうです。ポジションはフランカー。いまはラグビースクールのコーチもされています。熱血漢です。


 ラグビーが取り持つ「ご縁」に何度、助けられてきたでしょうか。ラグビーボールは「楕円球」ならぬ、「だ“縁”球」と書くのでしょう。こちらでは、ラグビーが子どもたちにとっていかに愉しい活動になるのか、といった話で盛り上がりました。ラグビーは人づくりにもってこい、とつくづく思うのです。


 ラグビー好きに悪人はいない、が持論です。とくにプロップ出身にはいい人が多い、とも(研究データあり)。「ありがとうございます」と漏らし、スクラムでつぶれた“ギョウザ耳”を触るのです。ア、イ、タ、タと腰を伸ばしながら。


 最後に感動的なエピソードをひとつ。午前の授業を終え、古賀監督の車に飛び乗ったため、昼食を食べる時間などありませんでした。


 でも、です。車のドアを開ければ、助手席にはおいしそうな弁当がぽつんと置かれていました。「どうぞ」。この心配りに僕はココロで泣いたのです。(松瀬学)




閲覧数:368回

まっちゃん部長日記②2023年4月11日



 大学のスポーツクラブの「台所事情」はどこぞも厳しい。エース松田凛日選手ら日本代表選手が多数所属する日本体育大学のラグビー部女子も同様である。だから、オフィシャルパートナーのご支援はとてもありがたい。


 例えば、有名な工具専門店『ファクトリーギア』には、2016年のパートナー制度発足時からずっと、チームをサポートしてきてもらった。素朴な疑問。なぜ、日体大ラグビー部女子を応援してくれているのか。それを知りたくて、同社の髙野倉匡人(たかのくら・まさと)代表取締役社長のご自宅を訪ねた。


 「ラグビーへの恩返しですよ」。髙野倉社長は柔和な顔を崩し、そう口にした。ラグビーと工具をこよなく愛する60歳。ラグビーの話題になれば、眼鏡の奥の目がなごむ。


 「僕はやっぱり、高校の時にラグビーに出会って、大学でも“くるみクラブ”で続け、その素晴らしさを知ったんです。僕の高校時代は寮だったんですよ。寮生活とラグビーがなければ、今日の僕がないくらいのものだったんです」


 髙野倉社長は千葉・麗澤(れいたく)高校を卒業した。ラグビーの精神性に魅せられ、現役引退後は我孫子ラグビースクールで子どもたちを指導した。「ラグビーへの恩返しが人生のテーマだった」と笑う。


 縁である。我孫子ラグビースクールの関係者からNEC(現NECグリーンロケッツ東葛)のメンバーと知り合い、その人が日体大ラグビー部女子のコーチとなった。チームの厳しい財政事情を知ることになり、会社として支援することになった。


 同社長の述懐。

「女子ラグビーの現状を聞いて、これはどこかの企業がサポートする先鞭をつけないといけないと思ったんです。一生懸命やっている女子ラガーを応援し、少しでもいい環境を整えてくれれば、ラグビーへの恩返し、社会貢献にもなるんじゃないかと思ったんです」


 日体大のラグビー部女子はフロンティアである。1988年、日本に女子ラグビー連盟が成立されると同時に日体大ラグビー部女子も創部された。まだ、ラグビーは“男子のスポーツ”と言われていた時代。厳しい環境下、女子選手たちはひたむきにチャレンジしてきた。


 そんな苦難の時代があればこそ、女子も上昇気流に乗っている。15人制では、RWC 2017に続き、2大会連続でのRWC 2021への出場、7人制では1月のセブンズワールドシリーズNZ大会での過去最高の6位に入った。


 ところで、ラグビーの魅力は。そう聞けば、髙野倉社長はあったかいコーヒーをひと口飲み、「自分自身がラグビーから学んだことはたくさんありますよ」と話し出した。


 「一番大きなところは、個ではないところです。ラグビーは常にチームのために何ができるのか、全体のことを考えながら動いていきます。それを学んだ結果、自分が会社の経営者になれて、会社というひとつのチームをつくれているんです」


 いわば、『ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン』の精神か。髙野倉社長は高校時代、ラグビー部の初代主将だった。現在、社員に時々、こう言うそうだ。「僕は、ずっとキャプテンをやりたかった」と。

 「下を向いているやつがいたら、肩をたたいて、励ますんです。みんなを鼓舞しながら、最後はオールアウト(完全燃焼)する。チームのために全力を尽くしてきたキャプテンって一番カッコいいと思っていました」


 何事にも歴史と理由がある。髙野倉社長は2015年のラグビーワールドカップを現地観戦し、日本代表が南アフリカに番狂わせを演じた瞬間、涙を流した。なぜかといえば、日本代表の苦難の時代がまぶたに浮かんだからだった。

 「僕は、出来事の裏側にある時間とか人の思いとかが基調で、そこに心を動かされるのがすごくあるんです。大切なことは、その重ねられた歴史とストーリーなのです」


 モノ作りも工具もラグビーも同様だろう。厳しい時代を見てきたからこそ、髙野倉社長は日体大ラグビー部女子を応援するのだった。


 「日体大はいわば、体育の東大みたいなものでしょう。やっぱり全国のモデルになってほしいのです。女子ラグビーにしても、チームの運営の仕方にしても、女子学生ラグビーの旗手になっていただかないといけません」


 言葉に熱がこもる。


 「そう。日本女子ラグビーの旗手であり続けてほしいと思いますね」

 あぁ日体大ラグビー部女子はなんと幸せなチームなのだろう。

閲覧数:204回

 まっちゃん部長日記① 2023年4月9日


 やはりラグビーっていいな。ラグビー仲間って最高だな、そうつくづく思います。4月8日の土曜日。ピンクのサクラの花びらがつよい風に舞う中、横浜・健志台キャンパスのラグビー場では、濃紺ジャージの日体大や、桃色や黄色、青色などカラフルなジャージの“ラグビー・ガールズ”が躍動しました。強く、速く、美しく。


 「青天のへきれき」のラグビー部部長就任から1週間余。たくさんの引継ぎ作業に追われ、もう生息吐息、死にそうです。でも、ラグビー界への恩返しです。やると覚悟を決めた以上、いろいろと大変なこともあるけれど、ポジティブに楽しんでやるしかありません。


 この日の女子セブンズの合同練習会です。三重の「PEARLS(パ―ルズ)」や熊谷の「ARUKAS KUMAGAYA(アルカス熊谷)、横浜の「YOKOHAMA TKM」など強豪7チームが日体大のラグビー場に集結しました。


 午前11時から、対戦相手を変えながら練習試合が続きました。どうしても、日体大の応援になります。おっ、はやっ。誰だ、あの選手は。近くの男子部員に聞けば、2年生の畑田桜子さんでした。僕のラグビーの恩師がかつてラグビー部を指導していた福岡・筑紫高校の卒業です。


 試合観戦の傍ら、日体大ラグビー部女子の古賀千尋監督から日本代表スタッフや女子ラグビー関係者にご紹介していただきました。みなさん、いい方ばかりで。


 スタンドに上がれば、ラグビー仲間がたくさん、陣取っていました。早大4年時の監督をしていただいた日本代表のレジェンド、植山信幸さんからは笑って、こう声を掛けられました。「よっ、新米部長!」


 そばにはTKM新監督の春口廣さんも座っていました。日体大OBです。関東学院大ラグビー部を6度の大学日本一に導いた名将です。冗談口調で、「おれ、監督見習いだから」と謙遜されていました。周りの木々からは小鳥のさえずり、グラウンドからは女子選手の元気な掛け声が聞こえてきます。


 73歳の春口さんはしみじみと漏らしました。「みんな、キラキラ輝いているよね。俺からしたら子どもたちだよね。若い連中がさ、ラグビーを一生懸命やっている姿はやっぱり、いいよね。この活気、楽しいじゃないの」


 僕は、大学教員ながら、スポーツライターを長くしてきました。女子ラグビーも取材してきました。昔、ラグビーは「男のスポーツ」と言われていました。でも、女子ラガーはそんな偏見にもマケズ、チャレンジしてきました。苦難の時代を経て、いま上昇気流に乗っています。


 そのチャレンジを率先してきたは間違いなく、日体大のメンバーなのです。1988年、女子ラグビー連盟が設立され、同時に日体大のラグビー部女子も創部されました。厳しい環境下、女子ラグビーの選手も指導者もつくってきたのです。僕は練習試合を見ながら、そんな苦難の時代がまぶたに浮かび、つい涙腺が緩んだのです。


 女子ラグビーはいろんな方々にサポートされています。できれば、選手の方々もそれを知ってほしい、感謝してほしいのです。例えば、日体大女子のオフィシャルパートナーです。有名な工具専門店『ファクトリーギア』には、2016年からずっと、チームをサポートしてもらってきています。


 なぜ、日体大ラグビー部女子を応援してくれているのか。それを知りたくて、練習試合が終わると、雨の中、芝浦まで車を飛ばしました。ファクトリーギア社の髙野倉匡人(たかのくら・まさと)代表取締役社長に会うためです。


 いい人です。約束の時間に30分程遅れたのに、髙野倉社長は強い風雨の中、傘もささず、マンションの外にまで迎えに出てこられました。恐縮し、なぜ、日体大女子の応援を?とストレートに聞きました。


 高校時代、ラグビーの主将だった髙野倉社長は即答されました。

「ラグビーへの恩返しをやりたいと思ったんです。日体大には日本女子ラグビーの旗手でありつづけてほしいと思いますね」


 うれしい言葉です。日体大ラグビー部女子はしあわせなチームです。旗手であるならば、強さだけではなく、人間力も大事でしょう。みなさん、がんばりましょう。(松瀬学)

閲覧数:382回
bottom of page