top of page

まっちゃん部長日記

まっちゃん部長日記②2023年4月11日



 大学のスポーツクラブの「台所事情」はどこぞも厳しい。エース松田凛日選手ら日本代表選手が多数所属する日本体育大学のラグビー部女子も同様である。だから、オフィシャルパートナーのご支援はとてもありがたい。


 例えば、有名な工具専門店『ファクトリーギア』には、2016年のパートナー制度発足時からずっと、チームをサポートしてきてもらった。素朴な疑問。なぜ、日体大ラグビー部女子を応援してくれているのか。それを知りたくて、同社の髙野倉匡人(たかのくら・まさと)代表取締役社長のご自宅を訪ねた。


 「ラグビーへの恩返しですよ」。髙野倉社長は柔和な顔を崩し、そう口にした。ラグビーと工具をこよなく愛する60歳。ラグビーの話題になれば、眼鏡の奥の目がなごむ。


 「僕はやっぱり、高校の時にラグビーに出会って、大学でも“くるみクラブ”で続け、その素晴らしさを知ったんです。僕の高校時代は寮だったんですよ。寮生活とラグビーがなければ、今日の僕がないくらいのものだったんです」


 髙野倉社長は千葉・麗澤(れいたく)高校を卒業した。ラグビーの精神性に魅せられ、現役引退後は我孫子ラグビースクールで子どもたちを指導した。「ラグビーへの恩返しが人生のテーマだった」と笑う。


 縁である。我孫子ラグビースクールの関係者からNEC(現NECグリーンロケッツ東葛)のメンバーと知り合い、その人が日体大ラグビー部女子のコーチとなった。チームの厳しい財政事情を知ることになり、会社として支援することになった。


 同社長の述懐。

「女子ラグビーの現状を聞いて、これはどこかの企業がサポートする先鞭をつけないといけないと思ったんです。一生懸命やっている女子ラガーを応援し、少しでもいい環境を整えてくれれば、ラグビーへの恩返し、社会貢献にもなるんじゃないかと思ったんです」


 日体大のラグビー部女子はフロンティアである。1988年、日本に女子ラグビー連盟が成立されると同時に日体大ラグビー部女子も創部された。まだ、ラグビーは“男子のスポーツ”と言われていた時代。厳しい環境下、女子選手たちはひたむきにチャレンジしてきた。


 そんな苦難の時代があればこそ、女子も上昇気流に乗っている。15人制では、RWC 2017に続き、2大会連続でのRWC 2021への出場、7人制では1月のセブンズワールドシリーズNZ大会での過去最高の6位に入った。


 ところで、ラグビーの魅力は。そう聞けば、髙野倉社長はあったかいコーヒーをひと口飲み、「自分自身がラグビーから学んだことはたくさんありますよ」と話し出した。


 「一番大きなところは、個ではないところです。ラグビーは常にチームのために何ができるのか、全体のことを考えながら動いていきます。それを学んだ結果、自分が会社の経営者になれて、会社というひとつのチームをつくれているんです」


 いわば、『ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン』の精神か。髙野倉社長は高校時代、ラグビー部の初代主将だった。現在、社員に時々、こう言うそうだ。「僕は、ずっとキャプテンをやりたかった」と。

 「下を向いているやつがいたら、肩をたたいて、励ますんです。みんなを鼓舞しながら、最後はオールアウト(完全燃焼)する。チームのために全力を尽くしてきたキャプテンって一番カッコいいと思っていました」


 何事にも歴史と理由がある。髙野倉社長は2015年のラグビーワールドカップを現地観戦し、日本代表が南アフリカに番狂わせを演じた瞬間、涙を流した。なぜかといえば、日本代表の苦難の時代がまぶたに浮かんだからだった。

 「僕は、出来事の裏側にある時間とか人の思いとかが基調で、そこに心を動かされるのがすごくあるんです。大切なことは、その重ねられた歴史とストーリーなのです」


 モノ作りも工具もラグビーも同様だろう。厳しい時代を見てきたからこそ、髙野倉社長は日体大ラグビー部女子を応援するのだった。


 「日体大はいわば、体育の東大みたいなものでしょう。やっぱり全国のモデルになってほしいのです。女子ラグビーにしても、チームの運営の仕方にしても、女子学生ラグビーの旗手になっていただかないといけません」


 言葉に熱がこもる。


 「そう。日本女子ラグビーの旗手であり続けてほしいと思いますね」

 あぁ日体大ラグビー部女子はなんと幸せなチームなのだろう。

 
 

 まっちゃん部長日記① 2023年4月9日


 やはりラグビーっていいな。ラグビー仲間って最高だな、そうつくづく思います。4月8日の土曜日。ピンクのサクラの花びらがつよい風に舞う中、横浜・健志台キャンパスのラグビー場では、濃紺ジャージの日体大や、桃色や黄色、青色などカラフルなジャージの“ラグビー・ガールズ”が躍動しました。強く、速く、美しく。


 「青天のへきれき」のラグビー部部長就任から1週間余。たくさんの引継ぎ作業に追われ、もう生息吐息、死にそうです。でも、ラグビー界への恩返しです。やると覚悟を決めた以上、いろいろと大変なこともあるけれど、ポジティブに楽しんでやるしかありません。


 この日の女子セブンズの合同練習会です。三重の「PEARLS(パ―ルズ)」や熊谷の「ARUKAS KUMAGAYA(アルカス熊谷)、横浜の「YOKOHAMA TKM」など強豪7チームが日体大のラグビー場に集結しました。


 午前11時から、対戦相手を変えながら練習試合が続きました。どうしても、日体大の応援になります。おっ、はやっ。誰だ、あの選手は。近くの男子部員に聞けば、2年生の畑田桜子さんでした。僕のラグビーの恩師がかつてラグビー部を指導していた福岡・筑紫高校の卒業です。


 試合観戦の傍ら、日体大ラグビー部女子の古賀千尋監督から日本代表スタッフや女子ラグビー関係者にご紹介していただきました。みなさん、いい方ばかりで。


 スタンドに上がれば、ラグビー仲間がたくさん、陣取っていました。早大4年時の監督をしていただいた日本代表のレジェンド、植山信幸さんからは笑って、こう声を掛けられました。「よっ、新米部長!」


 そばにはTKM新監督の春口廣さんも座っていました。日体大OBです。関東学院大ラグビー部を6度の大学日本一に導いた名将です。冗談口調で、「おれ、監督見習いだから」と謙遜されていました。周りの木々からは小鳥のさえずり、グラウンドからは女子選手の元気な掛け声が聞こえてきます。


 73歳の春口さんはしみじみと漏らしました。「みんな、キラキラ輝いているよね。俺からしたら子どもたちだよね。若い連中がさ、ラグビーを一生懸命やっている姿はやっぱり、いいよね。この活気、楽しいじゃないの」


 僕は、大学教員ながら、スポーツライターを長くしてきました。女子ラグビーも取材してきました。昔、ラグビーは「男のスポーツ」と言われていました。でも、女子ラガーはそんな偏見にもマケズ、チャレンジしてきました。苦難の時代を経て、いま上昇気流に乗っています。


 そのチャレンジを率先してきたは間違いなく、日体大のメンバーなのです。1988年、女子ラグビー連盟が設立され、同時に日体大のラグビー部女子も創部されました。厳しい環境下、女子ラグビーの選手も指導者もつくってきたのです。僕は練習試合を見ながら、そんな苦難の時代がまぶたに浮かび、つい涙腺が緩んだのです。


 女子ラグビーはいろんな方々にサポートされています。できれば、選手の方々もそれを知ってほしい、感謝してほしいのです。例えば、日体大女子のオフィシャルパートナーです。有名な工具専門店『ファクトリーギア』には、2016年からずっと、チームをサポートしてもらってきています。


 なぜ、日体大ラグビー部女子を応援してくれているのか。それを知りたくて、練習試合が終わると、雨の中、芝浦まで車を飛ばしました。ファクトリーギア社の髙野倉匡人(たかのくら・まさと)代表取締役社長に会うためです。


 いい人です。約束の時間に30分程遅れたのに、髙野倉社長は強い風雨の中、傘もささず、マンションの外にまで迎えに出てこられました。恐縮し、なぜ、日体大女子の応援を?とストレートに聞きました。


 高校時代、ラグビーの主将だった髙野倉社長は即答されました。

「ラグビーへの恩返しをやりたいと思ったんです。日体大には日本女子ラグビーの旗手でありつづけてほしいと思いますね」


 うれしい言葉です。日体大ラグビー部女子はしあわせなチームです。旗手であるならば、強さだけではなく、人間力も大事でしょう。みなさん、がんばりましょう。(松瀬学)

 
 

〒227-0033

神奈川県横浜市青葉区鴨志田町1221-1 

日本体育大学 健志台キャンパス

© 2025 by 日本体育大学ラグビー部女子  Proudly created with Wix.com

bottom of page